気持ち悪い思い出話と内省です

 去年のこの日は人生を閉じてあげようとしていた日で、その夜のことをときどき考えます。初めて自分の声を素直に聞き入れたときでした。

 いつの間に、負おうとする責任の幅を広げていったのかは不明ですが「だれかのせいにすること」を考えるのさえも禁止するようになっていることに気づいたとき、もう僕の性格は修復不可能なところまで自罰的でした。自分の欲望を叶えることだって、誰かへの迷惑になるとも思っていました。自分の意思をもたず僕のなかにいる強者に支配されるのは、投げやりではあれ楽なところはあったかなあとも思いますが、僕のなかにいる抑圧者に明け渡せるものはもうなく、僕自身はもうほとんど誰かのものになっていました。

 年齢も充分に自立してよいころでしたが、依然として不安定だったし、なにものかに縋ることも自分に許されなかったなら、立ち直るための力も杖もないうえに立ち直った状態が想像できず目指すこともできないのは不自然ではない。そんな状態で死ぬことについて悩み続けていて、自分の願いを叶えることはつまり「悪いこと」を意味し、そのうえ自殺は悪いことの代表ですから、考えれば考えるほど抑圧者が金切り声をあげて殴りかかってくるのをこらえなければならず、苦しみは増す一方でした。

 去年の6月になったころ、ようやく抑圧者から僕を逃がすことができて、すこしずつ準備をしながら呼吸が楽になっていきました。その夜は僕のなかもすっかり静かになっていて、身軽になった存在を気負いなく横たえました。

 

 目覚めたら病院で、失敗したなあと思ったけれども呼吸のしやすさは残っていて、退院した後も普通に呼吸ができることが不思議でなりませんでした。投薬をやめてもどうにか呼吸を保っていて、ときどき引き戻されましたが逃げることもできました。あるとき「自分の手で自分に居場所を与えることができた」と気づいて、やっと安心のための手掛かりにするものを得た気がしました。

 こうまで自罰的になっていたのは、やはり子供のころの学習にあったと考えられるわけですが、例えば自分の考えが大人たちに聞き入れてもらえなかったり、楽しいことをしていたら一方的に「悪いこと」のレッテルを貼られたりしてしまえば、悪いことの意味が理解できないまま「あの遊びは怒られる」「あの遊びはめちゃくちゃ怒られる」というのを積み重ねてしまい、怒られることの予測がつけられずに良し悪しの判断は常に外から与えられるものになってしまいました。自分の事情がまったく考慮されないのならば、それは地雷原を歩かされているようなもので、探知機も持たせてもらえないならば「逃げずに動かなくなる」のは起こりうる学習だなあと思います。ただ動かなくても攻撃は来るし、地雷を踏んででもどこか安全なところへと逃げようとしていたのだと解釈できます。

 先日「自分を守るために、(次にこのひとからこんなことを言われたら)反抗の意思を示そう」と考えていたら、ちゃんと素直に反抗できるようになったのだと気づいて、ようやく地雷原を抜けて以前よりずと自由に歩けるようになっていたとわかり、涙が止まらなくなりました。そこから逃げることができたのは紛れもなく自分の力で、その自分の頑張りを頑張りであると認めてあげることができて、自己肯定とはこういうものなのかと知った瞬間でした。「君はすごいよ、よくそこまで頑張った」と繰り返し繰り返し考えながら泣いていて、「肯定した瞬間から自己否定の推進力を失い遠くへ行けなくなる」ようなことを恐れていたことも思い出し、でも心強いこの場所を始点にしてどこかへ行ったり帰ったりできるならば、恐れていた事態にはならないだろうと安心しました。

 

 この一年間ですこしずつ陽の当たる場所に出てきて眩しさのあまり不安に思いましたが、沈みっぱなしではなく浮上することもあり徐々に鬱状態が通常というところからはなれてきました。過去を振り返りながら、自分のために生きていけるようこれから始めていこうと思っております。