記憶する僕はどうぞ自由になさってください

 このごろ徐々に落ちたり落としたりしておりますが、どうにか拾ったり拾われたりしてもいます。PCに向かうのが億劫になってきたり、音楽を聴くのが難しくなってきたり、なんというか治療方針が移りつつあります。

 生活の中にある景色や音や匂いなどさまざまに感覚を向けていると、幼い頃に感じていた違和感を思い出します。生活のすべてに馴染めていなくて、常にどこかがずれているような違和感。西陽の差す部屋の温度だったり、草や水や土の匂いだったり、自分の熱量だったり、それらがどうにも他所のことのような遠さだったけれども、同じ感覚を近いものとして受け止めているように思えます。

 思い出そうとして思い出せることは、言葉にならない観念(出来事へ僕が与えた意味や感情)がほとんどで、次に視覚のような気がします。逆に、匂いや感触は思い出す引鉄になりやすく、匂いから風景を、感触から観念をといったように現実感が強く、どうにも呼び起こされる記憶は鮮明です。聴覚はその中間、あるいは中心にいる印象で、味覚はよくわかりません。

 能動的に思い出せる記憶は、それぞれが紐で結ばれて関連付けされているため連動して思い出せるのですが、整頓が意味不明です。呼び起こされる記憶は、きれいに保管されているけれども片付けた場所がわからないような。どちらもままなりません。