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所属の話

 言葉に置かれている意味はゆっくりと変わっていって、自分自身が置いている意味や、周囲のひとびとが置いている意味もゆるやかに動いてゆく。

 例えば「日本」という国を指す言葉は、日本という言葉を使う文脈の違いから、グローバリズムを想像するひとがいたり、ナショナリズムを想像するひとがいるように見えます。国を指すということは、国の単位で物事を考えていて、つまり他国との比較と結びつきやすいのだと思っています。なんとなく飛び込んでくる情報から察するに、数年前までグローバリズムの流れが大きかったけれども、今はナショナリズムなのかなあと。もうずいぶん文化的なグローバル化も進んでいて、そして民族的なアイデンティティが云々。話が逸れたので、そろそろやめます。

 僕はといえば帰属意識が淡く、日本という言葉に大した意味を置けないでいます。場所を指す言葉には、知り合いの誰彼がいるくらいにしか思えず、ほとんどの知り合いは日本にいるわけですから、やはり意味を置きづらい。集団の単位で人との関わりを見出すわけでもなく、所属によって判断できることが少なすぎるというのもあります。

 たぶん、このような考え方のひとも周囲にはいて、集団や場所による所属の話をしないひとびとは、関心ごとの向け方が僕に近くて話しやすいのかなあと思っています。まあそういった話をしない以上、そうであるかは判断できませんがしなくてもよいと思っております。

 自分とは違う考え方だなと思うひとと話すたび、その違和感と突き止めるために考えを巡らしてしまうことは悪癖なのかもしれません。