そのうち自分が手の内におさまるようになると医者が言っていた

 スクーターで職場まで30分弱、道路のことも気にしながら運転しつつも、視界に飛び込んでくる景色をつい眺めてしまいそうになります。時間が許す限り、路肩に寄って眺めます。日常の質感を好きになってしまったようです。

 精神薬を服用していた時期は、お薬の作用もあって感覚すべてを鈍らせていました。それはとても助かっていましたが、断薬した後はあんまり五感が過敏になったものだから、慣れるまでにかなり消耗しました。現在も過敏なままですが、ある程度の必要な情報とノイズの傾向がわかってきて、あらかじめ対策をしておけば多少はやりやすいです。

 

 仕事中に思ったことなのですが、理性と感性が一致したときのしっくりくるのは、自分の一部として馴染んだ顕れなのかなあと思いました。理性は「言葉で思っていること」、感性は「言葉なく思っていること」と置き換えてください。

 言葉で説明できるあることが感覚として腑に落ちて、またその感覚を言葉で説明するときに違和感がない状況を「一致した」と思います。そういう部分を増やしていきたいなあ。