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目覚めて3時間ただ横たわっていた

 誰もがなにかしらに力を注いでいて、真剣な部分がないひとはいないと思います。解釈の仕方のひとつでしかないですが、これもひとつの解釈です。例えばふざけようとするひとは、ふざけることに真剣だと。

 天衣無縫、無為自然のように意図に乗せる意味の重さがない人間はきっといない。それゆえに意図の根幹にかかわる部分に真剣さがある、という解釈です。

 

 すこし例が分かりづらかったかもしれませんが、その意図の根幹には自分自身でも気づくことが難しいことが多く「頑張っていないひとはいない」という言葉にいまいち説得力を持たせられないのはこのためだと考えます。頑張っていないようにみえるひとは、単純にそれが見えづらいだけだ。

 そして「頑張りたいと思うこと」と「知れずと頑張っていること」に距離があるほど「頑張れていない自分」の感覚が増してゆくのかもしれません。

 

 せっかく分業を発達させた社会なのに、一様な努力を求められるのは納得がいかないため、こんなことを書いた次第です。

 

 ただ、真剣になることは意図の中にあるだけで、真剣になることを意図することは難しいと思います。ゆえになにをどう頑張るかと考えるのはかなり負担がかかるので個人的には避けています。頑張らないことを頑張る、のようにどんな対象にも、どこまでも「頑張る」という言葉をつけられるから。