かたちになる前に消える

 言葉になる以前のものがたくさんあると思うようになってから、かたちにもなっていないのに言葉にするなんて不可能だと決め込むようになりました。そんなとき、無理矢理に言葉を発してしまうと、嘘くさく、こじつけたような気がして、気持ち悪くなってしまいます。強引に形容されてしまうものが、どれだけ脚色され、あるいは損なわれてしまうか、比較できない以上わかりえないところは大きいですが想像すると詰まります。

 そのなかでもなにかを表明しなければならないとき、評価を与え与えられなければならないとき、性急な動作は生み出すものよりも壊してしまうもののほうが多いように思えて、待ってくれと言いたくなります。自分の気持ちがわからないわけないではないかという立場をとるひとにとって、この立場は理解に苦しむ対象なのでしょう。

 行動しているのならば説明しうる理由があるという主張には納得できなくて、行動のなかにぼんやりとした意図の影が差し込んでいるだけで、その色は様々な重なりの映りであって、単一の単純な要素に落とし込むことは難しすぎる。

 そうして、言葉を使わない思惟が増えていきます。