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面倒な悩みは飲み込みどきがわからないモツのように

 算数のように割り切れなくて〜と感情表現するときがあるんですけど、整数解にしなくてもいいじゃないですかあ!

 

 境界線をひくことから派生するさまざまに違和感を感じてしまいます。境界線は仕方ないです。知覚の直後に認識がありますし、認識されたものは名前を与えられ、それは区別とほとんど同義です。区別ということは境界線を引くこととも言えるので、だから仕方ないです。

 

 派生するさまざまとは、人間社会に生きる以上避けられないことなのですが、例えば境界線のどちら側にいるのか立場を与えらること・あるいは表明させられること、例えば境界線の中にあるものは個別のものとして扱われないことなどあります。

 

 具体例を挙げると、人種などでしょうか。差別などでよく引き合いに出されますが、区別した対象を軽蔑・嫌悪・排他する程度なので、区別のなかに収まる類です。自分とは異質のものを見つけ出して攻撃することが横行して、それがだめっていうひとがいる構図らしいのですが、なんだかよくわかりません。差別するか、差別する人間を差別するかの違い程度なのでは。

「肌の色が違ったって同じ人間なんだ」などの旨の言葉を聞くとモニョっとなります。これは差別が生まれる以前の状態、つまり区別すらしない状態を指すのでしょうか。言葉から色の概念を消すんでしょうか。考えすぎですね、すみません。

 

 個人的には障害や性別のカテゴリが苦手です。

 まず障害でいうと、僕は片方の耳が全く聴こえません。障害者手帳はたぶんもらえない程度で、日常会話は成立します。ただ、耳も目の機能のようにふたつついている意味がちゃんとあって、片方が聴こえないなら立体感・方向感覚などの機能がなくなります。音は十分に聴こえますが、ピントがないから雑音もたくさん拾ってしまいます。会話がしやすい場面・しづらい場面があって、後者の場面が両耳聴こえるひとより圧倒的に多いです。このような説明をいちいちするのが面倒で、あと言ってもあまり理解を得られません。必要が生じれば片方が聴こえないことを言いますが、近頃はもうほとんど言っていません。言っても、大抵は「大げさに心配される」「全く問題ないから無視」のどちらかで、まあ、立ち位置が微妙だから完全に理解してもらおうとは思っていませんが、極端すぎてどうも言い出しづらいです。気の知れた友人は、そっと配慮してくれるので有難いです。とても居心地がいい。

 

 個人的ではない話ですが、社会的には障害者は保護の対象であったり差別の対象であったり、なにかと境界線の引きかたが強烈です。制度との関わりもあるし。だから論点になりやすいのでしょう。今の社会を構成する秩序に参入できない場合、この秩序では保護を求めないと秩序そのものが障壁になってしまいます。だから障害者として生きるしかないと考えています。あるときは障害は個性と言う方もいますが、これもモニョい。僕みたいな微妙な立ち位置の方(色弱味覚障害など、あるいはグラデーションの広い精神病など)はずいぶん面倒な思いをされたんじゃないでしょうか。

 

 性別も厄介で、性別ならではの性質が付与されすぎだと思っています。そういう意味で僕は中性的でありたいと日々考えています。自分の性別に違和感を覚える話は多少共感しますが、僕はどちらでもありたくない。生物学上のカテゴリとしての僕の性別については納得していますけれども。

 ところで、生物としての性別の相違と社会的な性別の相違の境界線って、どこなのでしょうね。考えるほど幅の広いグラデーションに見えて、僕もよくわからなくなってきました。

 

 カテゴリ内の人間を同一視するのはほんとうに謎です。カテゴリごとに違いより各人の個体差の方がずっと大きいのに。

 

 これで話を終えます。長文でしたがご覧いただきありがとうございます。そんなこんなで、今回で僕はたくさんの境界線をなぞりました。ウウー!