ナンプレ(ナンバープレートの略)

 車道を走っているとついついナンプレを見てしまいます。福岡県でも佐賀に近く、そして通勤で使う道は佐世保までつながっているためか、佐賀ナンバーや佐世保ナンバーもよく見かけます。時折とんでもなく遠い地方のナンプレを見かけて、旅行にしても辺境だしなあと考えてしまいます。ここ数年で住んでいる地域はリゾート地らしく変わってきているため、移住かもしれません。今日は横浜ナンバーと品川ナンバーを発見しました。品川ナンバー!教習所のビデオでよく品川ナンバーの車が使われていました。いやはや、まあ遠いところからお越しになって。豊橋ナンバーを見かけたときは、あの豊橋?愛知の?とびっくりしました。足立やなにわや岡山や広島もありました。津々浦々です。車で全国をうろうろしたくなってしまいます。

吸血鬼は夜に居場所がある

 一日ずっと気だるくて、冷房の効いた部屋では力が抜けてしまうし、外へ出かけると光がドカドカ落ちてくるうえに空気はネバネバしています。さらに蝉が一匹鳴いていて、僕はそろそろ高原の別荘へ行かなければなりません。あるいは洞窟のなかで暮らさなければなりません。

 昼よりも夜に活動しやすいのはずっとそうで、夏場はいつも以上に昼間の居場所をなくしてしまいます。気分が悪くなって穏やかでいられない。そういうときは攻撃的な衝動が大きくなって、抑え込むことで忙しくなってしまう。嫌な出来事があったのと同じように、嫌な気分から生まれる攻撃性は面倒くさいです。ところで攻撃を向けることに、なぜ恐れているのかはよくわかっておりません。反撃を恐れているのか、攻撃された経験から加害者になることを恐れているのか。攻撃されたときに反撃したい気持ちがあったから、いざ攻撃する側にまわると相手の心情がそのようになると推測しているのか。自他の境界線があいまいな例ですね......

 なにはともあれ、しょぼくれてしまうのを避けるために美味しいものをたくさん食べなければなりません。浅漬けでも仕込みたい。

日記に起承転結はない

 選挙の期間前投票に出かけました。家の近くだったので歩きました。スクーターでの移動が増えて、田舎は歩くとどこにいくにも時間がかかると思い知って、移動が億劫になっていました。歩くと景色の流れはとても緩やかで、車やスクーターでは安全に運転するために見落とさなければならない情報たちを拾うことができます。今日は閉店して二年以上放置されているスーパーを見に寄ったり、カーブミラーを見上げたりできました。風が弱くて静かでした。嫌になるほど蒸し暑いのは始まったばかりだし、これからは蝉たちも現れる。

 期間前だし平日だし、家から票を投げる部屋の入り口までだれもいませんでした。施設の周りも入り口も階段も静かで、部屋に入ると職員さんたちが暇そうにおしゃべりしている。すこしひんやりした部屋で、伸び始めた苗の広がる水田を見渡しながら、子供のころはもっと恐るおそる生活していたなあと思い出しました。殊更に夏の静かでひんやりとした場所の心細さなどは、幼かったころにしかない感触かもしれません。例えば公民館に入ると、急にひとがまばらになって、空気もひんやりとして、蝉の鳴き声も遠のいて、そういう急にあれこれが逆になるのは場所として独特ですね。

 一度帰ってのびていました。猫が横たわっているところは、やや涼しい。さすがです先輩。スクーターで夕ご飯の買い物に出かけたら、やっぱり気になるものがあるのに、どうして気になるのか確かめることもしないで通り過ぎていくばかりです。車だと尚更なので、スクーターは危なくなさそうな路肩に停まれるぶんいいのかなあ。知ることの前に気づくことがあるとわかって、それを丁寧にしたいです。

三ヶ月の熱病

 梅雨はどこへ行ったんですか。雲の厚さも空気の重さも光の鮮やかさも雨の勢いもなにもかも夏になってしまいました。

 通勤途中、フォークリフトのコンテストのようなものを見かけたり、ヒマワリが咲き始めているのを見かけたり、一体梅雨はどうしたんですか。梅雨に向けて心構えをしっかりしていたのに拍子抜けです。

 梅雨も夏も苦手さに違いはありますが、梅雨は厄介で夏は手に負えない。もうアジサイだって花がしぼんでただの草になってしまいます。そのへんにあるただの草!さくらもそのへんの木だし、もみじもイチョウもそのへんの木です。季節になれば目立ち愛でられ、どうにも我々は目線がフワフワしている。寂しがりが欲する任意の恋人。あるいは酒飲みが酒を飲む理由づけ。再び来る流行、繰り返される歴史、変哲もない日々の習慣。飽きがこないように愛でるべし。我々のフワフワさは抽象的ではなく、ただ漠然として形が定まらないものであるならば、着実に積み重ねているのは学問や技術だけではないだろうか。僕だってフワフワしています。夏は特にフワフワしてしまいます。

 夏は冷静になりづらい。火照った頭では目先のことしか考えられない。ひとびとは熱病でいつもより思考がとりとめなくなるか、熱病にうなされるかのどちらかに振り分けられてしまう。

 夜の涼しさも遠ざかっていて、これからしばらく暑さにやられるか冷房にやられるかで、いまのうちに高原の別荘へ避難したいです。そんなものありませんが。

こじつけの入れ替え

 寝不足で出勤してゆるゆる調子を上げていっていたのですが、わずかな嘲笑の気配を感じ取ると一気に参ってしまいました。

 僕はいましている服装をとても気に入っているし、周囲に対する態度を表明する意図も込めているのですが、やっぱりうまく伝わらないことも多くあってちょっかいをだされます。働きに行っているのだから、服装くらい僕の性別らしく不自然でないようにするべきかと考えたりしますが(服装自由のバイトです)、どうにも心情が追いつかず、その適応の仕方はできそうにありません。そんなに派手で奇抜な格好はしていないつもりなのですが。

 自分自身では受け入れ切っていることなのに、周囲とかみ合わないとき途端に怯えてしまいます。陰口には疎いので気になりませんが、いじめられ体質歴が長いため攻撃の気配には敏感です。自信はあるのに萎縮しやすいのはどこかちぐはぐな感覚です。ハッタリでも胸を張りたいと思う日々が続いています。

 今日はすこし適応のやりかたが見えて、嘲笑の気配を放つ者に一歩踏み込んでみてはどうだろうかと気付きました。こちらが一歩引いたから相手はより嗤うのだし、なによりこちらが一歩引いたから攻撃の気配がほんとうにそれだったのか確認できない。だいぶ勇気の要ることですが、ただの可能性に怯えていただけで実際はなんともなかった事態もあると期待しています。とりあえずハッタリをかます方向が見えました。

気持ち悪い思い出話と内省です

 去年のこの日は人生を閉じてあげようとしていた日で、その夜のことをときどき考えます。初めて自分の声を素直に聞き入れたときでした。

 いつの間に、負おうとする責任の幅を広げていったのかは不明ですが「だれかのせいにすること」を考えるのさえも禁止するようになっていることに気づいたとき、もう僕の性格は修復不可能なところまで自罰的でした。自分の欲望を叶えることだって、誰かへの迷惑になるとも思っていました。自分の意思をもたず僕のなかにいる強者に支配されるのは、投げやりではあれ楽なところはあったかなあとも思いますが、僕のなかにいる抑圧者に明け渡せるものはもうなく、僕自身はもうほとんど誰かのものになっていました。

 年齢も充分に自立してよいころでしたが、依然として不安定だったし、なにものかに縋ることも自分に許されなかったなら、立ち直るための力も杖もないうえに立ち直った状態が想像できず目指すこともできないのは不自然ではない。そんな状態で死ぬことについて悩み続けていて、自分の願いを叶えることはつまり「悪いこと」を意味し、そのうえ自殺は悪いことの代表ですから、考えれば考えるほど抑圧者が金切り声をあげて殴りかかってくるのをこらえなければならず、苦しみは増す一方でした。

 去年の6月になったころ、ようやく抑圧者から僕を逃がすことができて、すこしずつ準備をしながら呼吸が楽になっていきました。その夜は僕のなかもすっかり静かになっていて、身軽になった存在を気負いなく横たえました。

 

 目覚めたら病院で、失敗したなあと思ったけれども呼吸のしやすさは残っていて、退院した後も普通に呼吸ができることが不思議でなりませんでした。投薬をやめてもどうにか呼吸を保っていて、ときどき引き戻されましたが逃げることもできました。あるとき「自分の手で自分に居場所を与えることができた」と気づいて、やっと安心のための手掛かりにするものを得た気がしました。

 こうまで自罰的になっていたのは、やはり子供のころの学習にあったと考えられるわけですが、例えば自分の考えが大人たちに聞き入れてもらえなかったり、楽しいことをしていたら一方的に「悪いこと」のレッテルを貼られたりしてしまえば、悪いことの意味が理解できないまま「あの遊びは怒られる」「あの遊びはめちゃくちゃ怒られる」というのを積み重ねてしまい、怒られることの予測がつけられずに良し悪しの判断は常に外から与えられるものになってしまいました。自分の事情がまったく考慮されないのならば、それは地雷原を歩かされているようなもので、探知機も持たせてもらえないならば「逃げずに動かなくなる」のは起こりうる学習だなあと思います。ただ動かなくても攻撃は来るし、地雷を踏んででもどこか安全なところへと逃げようとしていたのだと解釈できます。

 先日「自分を守るために、(次にこのひとからこんなことを言われたら)反抗の意思を示そう」と考えていたら、ちゃんと素直に反抗できるようになったのだと気づいて、ようやく地雷原を抜けて以前よりずと自由に歩けるようになっていたとわかり、涙が止まらなくなりました。そこから逃げることができたのは紛れもなく自分の力で、その自分の頑張りを頑張りであると認めてあげることができて、自己肯定とはこういうものなのかと知った瞬間でした。「君はすごいよ、よくそこまで頑張った」と繰り返し繰り返し考えながら泣いていて、「肯定した瞬間から自己否定の推進力を失い遠くへ行けなくなる」ようなことを恐れていたことも思い出し、でも心強いこの場所を始点にしてどこかへ行ったり帰ったりできるならば、恐れていた事態にはならないだろうと安心しました。

 

 この一年間ですこしずつ陽の当たる場所に出てきて眩しさのあまり不安に思いましたが、沈みっぱなしではなく浮上することもあり徐々に鬱状態が通常というところからはなれてきました。過去を振り返りながら、自分のために生きていけるようこれから始めていこうと思っております。

漉すところ

 コストコです。コストコのための一日でした。業務用スーパーをさらにとんでもなくしたような場所でした。あちらこちらに甘い誘惑があって、気持ち悪い笑みをうかべながらカートへ置いていました。保存食なんかは無限に食べられるよう買い置きしておきたかったのですが、保存する場所の問題がのしかかってしまい諦めることが多発しました。つらい!

 なんだかんだでたくさん買い込んで、家でそれらを並べてみると壮観きわまりなく、よい眺めです。つらくない!